「ダンフェール=ロシュロ」(Denfert-Rochereau)というと、パリに詳しい方は14区にあるメトロの駅と、その上にあるライオン像の広場を思い浮かべることでしょう。

 ダンフェール=ロシュロ大佐は1823年にフランスの中西部、現在のヌーヴェル・アキテーヌ地方で生まれました。
彼は普仏戦争時、フランス東部の町ベルフォールの防御に大きく貢献しました。その勇ましい姿が「ベルフォールのライオン」という愛称で讃えられた為、彫刻家のバルトルディがライオン像を造り、そのオリジナルが町の城塞(シタデル)に設置されたのです。




 ダンフェール=ロシュロが守り抜いたベルフォールの町は過去に幾度となく領土をめぐる戦いの舞台となりました。
その為このライオン像をはじめ、町のあちこちにその歴史を伝える碑やオブジェを見つけることができます。




 その1つで同じくバルトルディの作品であるダンフェール=ロシュローの像を含むモニュメント、「トロワ・シエージュ」(シエージュは戦争時の「包囲戦」の意)が立つレピュブリック広場は2023年、大改装中の為覆いで隠されています。
つまりこの像は改装後も変わらずこの広場に立ち、ベルフォルタン(Belfortain、ベルフォール市民)たちを見守り続けるということです。
新しくなった広場と像の調和が見られるのもそう遠くないことでしょう。




 因みにダンフェール=ロシュロのフルネームはPierre Marie Philippe Aristide Denfert-Rochereau。
フランスでは役所に届ける際、複数の下の名前を登録でき、大抵は最初のものを普段の呼び名で使います。
ですがどうやら彼は例外的に、普段Aristide(アリスティド)と呼ばれていたようです。
実際、(行政的見地からでしょう)軍事省のメモリアルサイトで見つかる彼の名称は「ピエール」・ダンフェール=ロシュロですが、彼のゆかりの地、ベルフォールの資料には「アリスティド」・ダンフェール=ロシュロという名で記されているものがあります。

 そんなダンフェール=ロシュロが守ったブルゴーニュ・フランシュ・コンテ地方の町、ベルフォールにある小さな歴史博物館では、彼の生誕200年を記念し、縁の展示品が並べられています。


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