アンコールワットは、アンコール遺跡群の中でも一番有名ですね。この寺院は、スールヤヴァルマン二世が30年にも渡る年月をかけて造った寺院です。

アンコール王朝では、強力な権力を持つ王の存在は珍しく、いつも地方の勢力と競合していました。アンコール朝の26人の王のうち、8人だけが先王の実子または兄弟が王位を継承しています。王位は実力で奪い取るものであったようです。



この地域に王都が存在し続けたのは、この地域が政治・経済の要所というだけではなく、ここに都を作ることが前王の正当な継承者であることを証明する意味を持っていたことが、この地域に都があり続けた理由でもあります。

この地域を支配下に置いて、近隣を治めた王は、自らのための寺院を造営し、王になるための儀式を盛大に行いました。前王よりも更に壮大な寺院を造営して、その権力を誇示しなければならなかった為、王が替わる毎に大きな寺院が作られました。このアンコール・ワットは、その中でも最大級の寺院で、周囲が1.5キロの堀で囲まれています。



この寺院は、ヒンドゥー教の三大神の中のヴィシュヌ神に奉げられた寺院であると同時に、スールヤヴァルマン二世自身を埋葬した墳墓でもあります。

ほとんどの寺院の正面が東を向いているのに対し、アンコール・ワットの正門は西を向いています。これは墳墓という性格から「東=日が昇る方向=物事の始まり」を避けたのだということです。西側から入った観光客は東に向いて歩くため、午前中は逆光になります。観光は午後から行う人が多いです。



アンコール・ワットは、堀の内側を壁で囲まれていて、西参道が入り口になっています。西参道から堀を渡って、西塔門を通ります。中に第一回廊、第二回廊があり、更にその中心に一際高い第三回廊・中央塔があります。中央塔の中に中央祠堂(しどう)が配置されています。

まず、西参道前に立つと、西塔門の更に奥に、小さく中央に位置する尖塔が見えます。






歩いていると、角度によって西塔門に隠れて、尖塔が見えたり、見えなかったりします。そのまま進むと、目の前に大きな西塔門が現れます。ここで中央塔が完全に見えなくなります。






門の階段を上ると、暗い塔門の中央部にポッカリと空いた縦型のフレームの中に、今まで見えなかった中央塔が一つだけ顔を出します。






更に進むと、中央に位置する尖塔が3つ(本当は5つ)見えます。






この門を抜けると、目の前いっぱいに中央祠堂が目に入ります。







先ほどの柱で作られた枠から外れることで、壮大な規模を更に意識させられます。塔門の中からは中央塔の高さを、門を出ると横の広がりを示すという二重の仕掛けで、中央祠堂の大きさを確認させる演出がされています。






また、建物にはナーガ(頭が7つある蛇)やシンハ(獅子)の像があります。これは、訪れる人の心に一時停止を求めるサインでもあります。階段や段差のある位置、テラスなどの建築装置がある時は、「ここで一旦立ち止まって注意深く建物を観察しなさい」というサインを発信しています。無造作に像を置いているわけではないんですね。

第一回廊に入ると、一面にレリーフが刻まれています。アンコール・トムが庶民の生活を多く描いているのと違って、こちらはインド古代の叙事詩や王族家同士の戦闘の物語、天国と地獄、ヒンドゥー教の神話を元にした話が刻まれています。






クメールの壁面彫刻の構図は、基本的に3つに分割されています。画面下から上に向かって近景、中景、遠景と画面を分割することによって、遠近感を出そうとしています。






第二回廊を抜けると、かなり高くて、急な角度である階段を持つ第三回廊とその上に塔があります。






ここはヒンドゥー教の寺院として建てられましたが、今は中央祠堂に仏陀が祭られています。


いかがでしょうか。
もし旅行で行かれる際は、参考にしてみてください。アンコールワットは大変広いので、履き慣れた歩きやすい靴で行くようにしてください。近くには、プノン・バケン丘があって、そこからアンコールワットを眺めながら夕日を見るのも素敵ですよ。

Copyright(C) wowneta.jp