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1本の木に会いに行く(29)薬照寺の大カツラ そして日本とミャンマー<新潟県>

南魚沼市塩沢の古刹・薬照寺とカツラの巨樹

カーナビに指示されて、関越道塩沢石打ICを下りて魚野川を渡り、国道17号線を経て小さな集落を抜けて丘を登っていくと、薬照寺の正門にたどり着きました。ICから車で10分ほどでしょうか。

薬照寺は寛徳2年(1045年)に創建された真言宗智山派の古いお寺だといいます。

すぐに石段の右手にみずみずしい緑の葉を茂らせる大きな木が目に入りました。手前にスギの木がありますが、カツラの枝葉が元気よく広がっています。

カツラの木は北海道から九州まで日本全国の山地に見られる落葉樹だそうで、適度に湿り気のある山地や沢筋などの傾斜地に自生しているといいます。目の前の大カツラも、まさに傾斜地に立っていました。

「推定樹齢2000年、日本一の大カツラ」と称えられており、高さは30m、幹周り13.5m、枝張りは東西17.1m、南北29m、昭和48年(1973年)に新潟県指定の天然記念物となりました。

丸いハート型の葉っぱが特徴的ですね。カツラという名は「香りが出る=香出(かづ)る」に由来するともいわれ、街路樹や、香りがよく耐久性もあるので建築、家具、鉛筆、またそろばんや将棋盤にも使われるそうです。薬照寺でも、かつては葉を香に用いていたといいます。

大きな石碑に「二千年 日本一の大桂」と書いてありました。調査した新潟県都市緑化センターによれば、古くからカツラの巨木は確かにこの場所にあったようですが、江戸中期の1780年に火事で全焼した本堂を建て直す建材に使うため伐採されてしまったというのです。

ただし切り株は残されていたようで、そこに芽生えた若い枝が育ち、現在の大木に育ったようです。

目の前の大カツラは樹齢240年ほど。このカツラですらこれほど大きいのですから、樹齢2000年だったカツラ、どれほど巨大だったのか想像も尽きません。

ビルマ(現ミャンマー)元首バー・モウ 薬照寺の潜伏

境内には、上の写真の顕彰碑が建てられていました。「土田覚常顕彰碑」とあります。実は、このお寺にはもうひとつ、歴史的な出来事があったのです。

土田覚常とは薬照寺の第77代住職だった方で、略歴のなか一番左に「ビルマ元首バー・モウ閣下亡命担当」とあります。バー・モウは、戦前イギリス植民地だったビルマ独立運動指導者のひとりで、太平洋戦争当時、国家元首であり、日本ともたいへん関わりの深い人物でした。

実は昭和20年(1945年)8月ビルマ(現在のミャンマー)崩壊後、バー・モウは日本に亡命しました。日本軍が敗走したビルマで、戦時中日本側に立っていた彼は、連合軍に捕らわれ罪に問われることをおそれたからといいます。日本に亡命し、この薬照寺に潜伏していたのです。

戦時中からの日本とビルマの関係

バー・モウは昭和18年(1943年)に東京で開かれた「大東亜会議」に、日本の同盟国ビルマ国内閣総理大臣として参加していました。

その会議の出席者とは、日本の内閣総理大臣・東條英機、中華民国(南京)国民政府の汪兆銘行政院長、満州国の張景恵国務総理大臣、フィリピン共和国のホセ・ラウレル大統領、タイ王国のワンワイタヤーコーン親王(首相代理)、そしてインド亡命政権である自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースでした。

バー・モウは陸軍中野学校出身の将校らの協力で日本へ逃れ、薬照寺に潜伏したといいます。薬照寺では英語を教えながら日本語を学んでいました。そうして4カ月後、自ら連合国占領軍(イギリス軍)に出頭しました。

翌年8月に特赦によりビルマに帰国。その後政界に復帰しますが軍事政権下では一時拘禁され、釈放後は引退。隠棲の後、1977年に首都ラングーン(現ヤンゴン)で亡くなっています。

薬照寺では、土田覚常住職と、後に石打村村長となる今泉隆平、そして地元旧家の出だった今成拓三らが重光葵外相からの密命を帯びて、バー・モウの身を守り生活を支えたそうです。突如として複雑な戦後外交に巻き込まれたといってもいいかもしれません。

じつはバー・モウが自首する2日前の写真が残されていました。昭和21年(1946年)1月16日、薬照寺で行われたバー・モウの送別会だそうです。

前列中央がバー・モウ。そして、その左に座るのが今泉隆平。土田覚常住職は後列左から2人目。その右隣が今成拓三といいます。

ミャンマーの民主化と平和を願う

今年も暑い8月となりました。15日の終戦記念日、そしてお盆を前にすると、太平洋戦争のことを思います。生まれる以前の話ですが、忘れてはならない出来事です。

日本とミャンマー(当時はビルマ)は、太平洋戦争のさなかから現在に至るまで深い関係があります。バー・モウだけでなく、1947年に暗殺されたもうひとりの指導者・アウンサンもビルマ独立運動の中で戦前日本に逃れるなど、ミャンマーの近代史は日本と深く関わっています。

アウンサンは、その後「ビルマ建国の父」として国民から敬愛され続けています。そして、その娘がアウンサンスーチー女史なのです。彼女もまたバー・モウと同じように、長いあいだ自宅軟禁下に置かれていました。

第二次大戦後、軍事政権下にあったミャンマーは、2015年11月民政復帰後初めての総選挙で、アウンサンスーチー率いるNLD(国民民主連盟)が圧勝します。

半世紀余に及んだ軍人、軍出身者による統治は終結し、民主的な国になったと思いきや、今年の2月1日、クーデターで国軍がふたたび実権を握ることとなり、アウンサンスーチーはまたもや拘束され、国は大混乱。抗議デモに参加した市民に国軍が銃を向け、半年間で1000人近くもの人びとが亡くなっているといいます。

このカツラの巨木を見上げたのは去年の夏のことでした。まさか、その後こんなことになるとは思いもしませんでした。

ミャンマーがふたたび民主的で平和な国家になることを願います。そして忘れることなく、事態の推移を見守っています。

薬照寺

住所:新潟県南魚沼市君沢

※宝物殿は休館

HP: http://www.city.minamiuonuma.niigata.jp/kanko/history_culture/history/1455872879476.html(南魚沼市ウェブサイト)

[All Photos by Masato Abe]




2021/08/06 06:08  Copyright (C) 2019 TABIZINE All Rights Reserved.

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