<W解説>韓国・尹前大統領による「非常戒厳」宣言から1年=韓国紙「その日の選択は、今も悲劇として続いている」
<W解説>韓国・尹前大統領による「非常戒厳」宣言から1年=韓国紙「その日の選択は、今も悲劇として続いている」
韓国のユン・ソギョル(尹錫悦)大統領が「非常戒厳」を宣言してから、今月3日で1年を迎えた。当時、宣言を受け、軍が国会に展開。すぐさま市民が抗議の声を上げたほか、与野党議員は国会に駆け付け解除要求を決議。戒厳は6時間で解かれたが、混乱はその後もしばらく続いた。宣言を機に国内では保守、革新の政治的な対立が激化。社会の分断が進んでいる。また、尹氏は非常戒厳を宣言したことで罷免されたほか、内乱首謀罪などに問われ、現在公判中。一審は来月1月に結審し、2月にも判決が出る見通し。尹氏は一貫して無罪を主張している。韓国紙の朝鮮日報は「わずか6時間で終わったその日の選択は、丸1年経過した今も悲劇として続いている」と伝えた。

尹氏が国内に宣言した非常戒厳は韓国憲法が定める戒厳令の一種。戦時や事変などの非常事態で、軍事上、必要となる場合や公共の秩序を維持するために大統領が発令するものだ。行政や司法の機能は軍が掌握し、言論・出版・結社の自由を制限することも認められる。

1987年の民主化以降初めてとなる非常戒厳の宣言を受け、当時、武装した戒厳軍の兵士がガラスを割って国会議事堂に突入。軍事政権時代を連想させる事態に、国会前には多くの市民が集まり、戒厳に反対するシュプレヒコールを上げたほか、軍の車両を取り囲むなど騒然とした。

だが、戒厳令は国会議員の過半数が解除を求めた場合、大統領はこれに応じなければならず、発令直後、国会で本会議が開かれ、出席議員の全員が解除に賛成。尹氏はわずか6時間で非常戒厳を解いた。

だが、その後も社会の混乱は続いた。非常戒厳を宣言した尹氏は、今年4月、憲法裁判所の弾劾審判で罷免された。これを受けて6月には大統領選が行われ、「社会統合」を掲げた革新系「共に民主党」のイ・ジェミョン(李在明)氏が当選した。

その李大統領は、非常戒厳から1年を迎えた今月3日、国民に向けた特別談話を発表した。李氏は「二度とクーデターを試みることのない国、誰も国民主権の光を脅かすことのない国を築くためにも、『正義の統合』は不可欠だ」と強調した。また、李氏は「民主主義の危機を平和的な方法で克服した国民こそ、ノーベル平和賞を受賞する十分な資格がある」とし、12月3日を「国民主権の日」に指定すると明らかにした。

3日は、韓国各地で大規模なデモ集会が開かれた。国会前で開かれた、尹氏を批判する集会では、参加者が戒厳の真相究明や尹氏をはじめとする関係者の断罪を求めた。集会には、李大統領も参加予定だったが、警備上の理由で見送られた。一方、尹氏を擁護する集会も開かれ、参加者たちは「尹アゲイン(再び)」などと声を上げた。

尹氏は3日、弁護団を通じてコメントを発表した。非常戒厳について「大統領の権限で非常事態を宣言し、憲政秩序を正そうとした」とし、改めて正当性を主張した。

また、非常戒厳の宣言時に与党だった「国民の力」は、同党所属の一部国会議員が3日、国会で国民に向けて謝罪した。議員たちは「非常戒厳は国民が血と汗で成し遂げた韓国の自由民主主義を否定し、踏みにじった反憲法的、反民主的な行為だった」とし、「非常戒厳を事前に阻止できず、国民に大きな苦痛と混乱をもたらしたことについて、当時の与党の一員として改めて国民に謝罪する」と述べた。その上で、「尹前大統領をはじめ、非常戒厳を主導した勢力と政治的に断絶することを明確に表明する」と強調した。

同党は、尹氏の非常戒厳の宣言以降、党の支持率は低迷しており、党内では、とりわけ中道層の離脱が続くことへの焦燥感が広がっている。党指導部は「現時点での謝罪は実益がない」として国民への謝罪に消極的だった一方、「戒厳と党が直接関係があるわけではないが、当時の大統領は党員だった」などとして、党内では1年を機に謝罪すべきとの声が高まっていた。3日に謝罪文を発表した議員たちは同党所属の議員107人全員に同意の有無を確認したというが、この日、謝罪文を発表するための記者会見に集まったのは25人にとどまった。また、党代表のチャン・ドンヒョク氏は「責任を痛感する」とした一方、非常戒厳について「国会の暴挙に対抗するための措置だった」と尹氏を擁護した。通信社の聯合ニュースによると、党内ではチャン氏に対し、尹氏との「絶縁」を求める声が上がっているという。

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