鄭氏はソウル大学医学部卒の医師で、1995年に国立保健院の研究員となって公職に就いて以降、保健福祉部応急医療課長、疾病予防センター長などを歴任。2015年に韓国でMERS(中東呼吸器症候群)が大流行した際は危機管理に当たったが、感染拡大を防げなかったとして懲戒処分を受けた。しかし、2017年7月、当時のムン・ジェイン(文在寅)政権は鄭氏を疾病管理本部長に抜擢した。
鄭氏といえば、2020年1月に韓国で初めてコロナの感染者が確認され、疾病管理本部長としてコロナ対策の最前線で指揮を取った人物として知られる。流行初期には連日、記者会見を行うなど激務をこなした。記者から「1時間も寝ていないとの話がある」と健康状態を心配する質問が出た際には「1時間以上は寝ている」と答えたことは当時、日本でも報道された。疾病管理本部は同年9月に疾病管理庁に昇格。鄭氏は初代庁長となった。この年に鄭氏は、米誌タイムの「最も影響力のある100人」にも選ばれた。
2022年5月、当時、ユン・ソギョル(尹錫悦)政権が発足したことに伴い、鄭氏は疾病管理庁長を退任した。当時の尹政権は文前政権の防疫政策を「政治防疫」と批判したが、退任を前に国会保健福祉委員会の全体会議に出席した鄭氏は「ワクチンや治療薬などは臨床試験を経て、根拠を持って政策を進めてきた。『社会的距離を置く』(韓国が取ってきた防疫措置)は社会の合意や政治的判断がいる政策だ。科学防疫と政治防疫を区別することは適切でないと考える」と反論した。
鄭氏の退任に、当時、国民をはじめ各方面から労をねぎらう声が相次いだ。イ・ナギョン(李洛淵)元首相は当時、自身のSNSに「大韓民国をコロナ防疫の先導国家に築き上げた鄭庁長に感謝する」とメッセージを投稿。李氏は「髪を整える時間や昼食を摂る時間まで惜しんで業務に集中し、コロナの状況と防疫政策をいつもわかりやすく説明してきたことは、公職者の鏡として長く記憶されることになるだろう。鄭庁長は文在寅政権における防疫成功を象徴する人物になった」とねぎらった。
退任後、鄭氏はブンダン(盆唐)ソウル大学病院の感染症政策研究委員としての活動を経て、2023年6月にソウル大学医学部家庭医学科臨床教授となり、教壇に立った。
先月3日に行われた大統領選挙では、「共に民主党」の中央選挙対策委員会総括選挙対策委員長を務めた。大統領選に当選を果たし李大統領は先月から閣僚候補の人選を進め、保健福祉部長官候補に鄭氏を指名した。
鄭氏をはじめ、指名された閣僚候補は、国会で議員からの質問などを受ける聴聞会を経て正式に就任する。
韓国では昨年、前政権が大学医学部の定員増の方針を打ち出したことに医療界が反発。専攻医が集団で離職し医療現場が混乱に陥ったほか、医学部生が集団で休学する事態となった。当時の尹政権は、本年度は医学部の定員増に踏み切ったが、26年度の定員については増員前に戻す方針を示した。医学生たちのほとんどは復学したものの、授業への出席を拒否するなど、政府と医学生の対立は続いている。
医学部定員をめぐる一連の問題にも対応する保健福祉部長官に、鄭氏が候補に指名されたことで政府と医療界の対立が解消に向かうか注目されている。離職した研修医たちを代表する大韓専攻医協議会の非常対策委員会は、鄭氏が指名されたことについて、「医療体制の回復と再構築に向けた誠実な出発点となることを期待する」と歓迎した。
こうした中、鄭氏の夫をめぐり、新型コロナに関連してマスク・検査キット株の投資疑惑が浮上した。韓国紙の報道によると、コロナ流行期、鄭氏が国民にマスク着用や自己検査キットの使用を呼び掛ける一方で、鄭氏と同じく医師の夫が関連品を生産する企業の株を買っていたという。これを最初に報じた朝鮮日報は「鄭元庁長が在籍していた2017~22年の公職者資産登録事項には、夫名義で手指消毒剤の原料であるエチルアルコールの生産企業『チャンヘ・エタノール』の株約5000株を保有していると記載されていた」と前置きした上で、「夫が当時保有していた新型コロナ関連銘柄はその他にもさらにあったことが人事検証で明らかになったものだ。また、鄭氏はこのほど大統領室に提出した資産の関連資料にも一部漏れがあったり、実際の受け取り額よりも少なく記載されたりしていたという」と報じた。
夫をめぐる報道に対し、鄭氏は「誤った内容が多い」とし、「聴聞会で事実関係を明確にする」としている。
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