海外に行くと、戦没者を追悼する施設(メモリアル)がいろいろなところにあります。
その多くは記念碑であったり、お墓であったり。

ダーリントンの場合、メモリアルは病院なのです。
第一次世界大戦後になにがしらのメモリアルを作ろうと議論された時、「より実用的な施設にしよう」という結論に至ったのです。
鉄道で財を成したピース家がメモリアルを病院にすることを以下のように述べ、推していました。
「(当時の)最新の設備を有する病院の中にあるメモリアルは人々の魂に訴える力を持っているのではないでしょうか。単にお亡くなりになった方たちを弔う設備を作るよりも、多くの人々が感謝の気持ちを持つと思います。」

上の写真はメモリアル・ホスピタルです。
右側のこじんまりとした尖ったモニュメントは記念碑です。




この写真は記念碑に置かれている赤いポピー(けしの花)のリース。
とある戦場で激しい戦闘が繰り広げられ、多くの犠牲者を出したのち、赤いポピーが戦死者の流した血を覆い隠すように咲いた・・からきているそうです。
記念碑に示されている数字(1914-1918)は第一次世界大戦の期間です。


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