8月15日の終戦記念日のあと、独立記念日を迎える国は特にアジアにはとても多く、インドネシアもそのひとつ。
8月17日が独立記念日です。
毎年8月になるとあちこちに国旗が掲げられます。
 
インドネシアは約300年もの長きにわたるオランダの植民地、第二次世界大戦での日本の統治を経て終戦を迎え、8月17日にジャカルタでスカルノ氏が独立を宣言しました。
このスカルノ氏は、日本でタレント活動でも知られるデヴィ夫人が結婚された方です。




独立にあたって日本が深く関わっていたそうです。
今も親日派の多いインドネシアですが、このいきさつがその所以となっているようです。
終戦から独立までをダイジェストで追ってみましょう。

終戦翌日の8月16日、ジャカルタ在勤武官の前田精海軍少将はスカルノ氏とハッタ氏を自らの公邸に受け入れ、インドネシア独立宣言の打ち合わせを行ったそうです。
16日23時から翌17日午前2時過ぎまで続いた会議には50人ほどが出席し、外には青年グループ等が大勢集まって会議の結果を待っていたといいます。

そうして17日にいよいよ独立宣言が行われました。
ところが、インドネシアを再び植民地に取り戻したかったオランダがこれに反対し、以後4年にわたる独立闘争に突入。
オランダだけでなく、連邦国家主義者や、政権奪取を目指す共産主義者など、国内の敵とも戦う苦難が続きました。
1947、48年の2度にわたりオランダの大規模な軍事行動に国連が介入し、1949年11月ハーグ協定が成立して、インドネシア連邦共和国が誕生しました。




ところがスカルノ氏らは、『連邦制はオランダの「分割して支配する方式」の産物』として納得しませんでした。
そうして1950年8月には一方的に連邦制を廃止し、インドネシアを単一の『共和国』に生れ変らせ、ここで独立運動に一応の終止符を打ちました。
この時点ではまだ西ニューギニア(西イリアン)が、依然としてオランダの主権下におかれたままでした。
その後、それを併合した1969年7月、旧オランダ領東インドの完全独立という宿願がようやく達成されました。

インドネシア国旗の赤色は勇気と情熱、白色は正義と純潔を表しているのだそうです。




1976年(昭和51年)前田氏は建国功労章を授与され、インドネシア独立宣言が起草された前田精の公邸は「独立宣言起草博物館」として保存、一般公開されています。

MUSEUM PERUMUSAN NASKAH PROKLAMASI
(インドネシア独立宣言文起草博物館/ Formulation of ProclamationText Museum)
https://munasprok.go.id/


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